クレーマー
みなさんこんにちは。
つきとたいようです。
企業に勤めていた時、クレーマーは自分たちの粗を細かく教えてくれるからよくその声を聞いて対応すべきだと教わりました。
しかし年月が経つに連れてクレーマーの質はとても下がったなと思います。
(書いていてそもそもクレーマーの質ってなんだ?となっていますが…。)
超大前提として、店員だろうがオーナーだろうが事務員だろうが客だろうが、皆等しく人間であるという事は忘れてはいけない事だと思います。
お腹が空けば喉も乾く、生理現象も同じです。
もちろん自分が求めている事のサービスに対しての対価を払っていて、その対価に見合ってない対応が返ってきたのだとしたら、それは指摘をしたら良いと思います。
クレーマーは承認欲求を大きく求めるエゴの塊だと思っています。
しかしそれらの意見を悪い方に真摯に受け止めて対応してしまう事で、他の人間の行動が大きく制限されてしまいます。
何が良くて何が悪いかなんてしっかり考えればわかるのに、悪い印象を植え付けたくないがために、全てに対応をしてしまう。
気に入らないならそのサービスを受けなければ良いだけです。
数えきれないほど世の中には受けれるサービスに溢れているのに、わざわざそこを集中的に攻撃する意味はまるでありません。
クレームを言った本人だけが満足するいわゆる自己満足で、周りからしたら悪循環です。
上記とは書いている内容が少しズレてしまいますが、今日ふとSNSを見たときに、警察官がコンビニで買い物をしていたとか、消防署が入っているマンションの住民からサイレンの苦情が出ているといった内容のクレームがあると見かけたので、クレーマーに対して思う事を書いてみました。
みなさんも己の正義を信じて、受け入れられない事にははっきりとノーと意思表示をしていってはいかがでしょうか。
You are the G.O.A.T.
無駄を決めるのは誰?
みなさんこんにちは。
つきとたいようです。
みなさんは1日のスケジュールはどのように組まれていますでしょうか。
きっちり予定を組んでその通りに過ごすタイプや、思いついたときに行動するタイプなど様々いるかと思います。
よくSNSで「人生は1度きり。」「1秒も無駄に過ごす時間はない。」など、著名人の方などが発信しているのを見かけます。
わたしもその点については大きく賛同します。
しかし無理やり意味のある行動を起こして、無駄ではないように過ごす事は違うのではないかと思うわけです。
とある日に24時間まるまる睡眠してしまったとしましょう。
これは果たして無駄な時間なのでしょうか?
無駄な時間と決定するのは誰なのでしょうか?
無駄だと思うのは、そのようには過ごさないと決めつけている他人であって、大事なのはあなたがその行動に対してどう思い、どう評価をするかではないでしょうか。
ゆっくり休んだことで次の日以降のあらゆる行動のクオリティが上がるかもしれないし、夢ですごい妙案が浮かんでそれがきっかけで大成するかもしれない。
たられば論で言うなら、逆もまた然りです。
わたしは行動に対しての評価で大事なのは上記にもあるように、本人がどう思うか?の一択に尽きると考えています。
同じ行動でも本人が無駄だと思えば無駄だし、有意義だと思えば有意義だということです。
他人の物差しでの決定に惑わされてはだめです。
自分はどう思っているの?と常に問いただす。
100人いれば意見は100通りです。
自分のことは自分が一番の信頼者です。
毎日を絶対に前向きに生きる。
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人との付き合い方(プライベートにて)
みなさんこんにちは。
つきとたいようです。
わたしはいろんなコミュニティの方々から比較的食事の場に呼ばれやすいタイプです。
そして特にそこの場へ行くことは嫌ではないので、深く考える事もなく基本的には参加するようにしていました。
その場にいる方々にもよりますが後輩や部下である場合は、変なプライドが働いてお金を多く出してしまいがちだった過去があります。
最近になってパートナーとそのような話になった時に、それは時間とお金の無駄だという意見をもらいました。
話を聞いてみると自分の今後の人生に、大きな影響を与えない人(自分がそこまで深く関わろうと思っていない人)に自分の大事なものを費やしているのはただの浪費だというのです。
わたしは広く顔を広めて、周りから一定以上の人気がある事が大事だと思っていました。
しかしそのような意見を聞いた時に、思い返せば給料日前は何かと節約している自分がいたり、何かしら自分の事を我慢していた節はあったなと思い返しました。
見返りを求めているわけではないが、自分の為にならない事に時間とお金を費やし、その裏で自分自身が我慢をしていた事は、とても矛盾している事だなと感じています。
これが正解だとわたしも周りに押し付ける事はありませんが、客観的に考えればわかるような事も、人からの話でなるほどなと変に納得してしまったお話でした。
みなさんは人との付き合い方はどうでしょうか?
何か心がけている事があれば教えて頂ければと思います。
You are the G.O.A.T.
中身の追求はどこから
みなさんこんにちは。
つきとたいようです。
SNSを触り始めて早2か月ほどが経とうとしています。
こちらでブログを書くとともに、ツイッターを併用して稼働させています。
おかげさまでフォロワー数は500人を超えて、数字だけ見たら順調に進められているかなと感じています。
しかしフォロワーの中身を見ていると、同じようにブログを書いている人だけではなく、ネットビジネスの勧誘であったりその他の目的があって、SNSを利用されている方々ばかりです。
この方々への批判というわけではなく、わたしが特になにも考えずにとにかく見てもらう機会を増やそうと、無作為にフォローの数をこなしたせいでこのようになってしまったということです。
中には明らかに同じ人物が複数のアカウントでフォローしてきているのも見かけます。
ならば最初からフォローするアカウントを厳選していれば良かったのかと思うと、そうでもないと思っています。
無作為にフォローさせて頂いた方の中には、わたしのつぶやきをリツイートしてくださった方もいらっしゃいますし、見てもらうという目的の機会は大幅に増えているのかなと感じています。
いまとなって思う事としてこのように感じて書き残しているだけで、やはり何事も最初は飛びついてやらなければならないのでしょう。
逆に変に億劫になって行動を制限していたら、見てもらう機会はいまの半分にも満たなかったと思われます。
こう考え始めたことで、やっと中身を求めるステージに立ち始めました。
中身の充実を考えるのはスタートして定着し始めてから。
計画を立てて行動することは大事ですが、時には飛び込む勇気も必要だと改めて感じました。
石橋は叩きすぎないようにほどほどに渡りましょう。
You are the G.O.A.T.
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い③
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い②の続き
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い② - つきとたいようの日記 (hatenablog.com)
さてこの内容もパート③まで入ってきてしまいましたがもう終盤です。
細かい個所を3点明記して終わりにします。
1点目は文書の統一感をだす事です。
それは文書の締め方(ですます調やである調など)を意識したり、ワードチョイス(その熟語の認知度の高低など)を気を付けたり様々です。
文章を読むうえで長考してしまうことがあったり、違和感を感じてしまうとかなり読みにくい文書となります。
読みやすさがないと内容がなかなか入ってこないので、文書の全体的な統一感のある構成は必須といえるでしょう。
2点目は話し言葉と書き言葉の差をつける事です。
例えば単語にしても「その通り」が正解なのに、耳で「そのとうり」と聞こえるから、そのまま文書に起こしてしまったり。
話し言葉では問題ない省略してしまった文法を、文書でもそのまま省略してしまったり。
書き手自身のことが少し読み取れてしまうような書き方は、読み手が引っ掛かりなく(日本人は固定概念が強いため、人間性を決めつけられたら内容が入ってきにくい)読み進めていくためにできるだけ避けたほうが良いでしょう。
最後は結論/想いをはっきり書く事です。
わたしは文書の冒頭もしくは末尾に伝えたいことを記すように努めています。
最悪そこだけ読んでもらえれば、この人が結論何を伝えたかったのか、分かってもらうためです。
伝えたいことさえ伝わっていれば、道中のわかりにくい文書も意外と簡単に読み解けてしまったりします。
人に何を伝えたいかが分かることは非常に重要ですね。
だらだらと書きましたが、どのくらい共感あるいはご指摘のある個所があったでしょうか。
結論、文書の書き方次第でどんなに良い内容であっても、本人が伝えたいことが薄れてしまうという機会損失の回避をどうしていくかというお話でした。
みなさんが気を付けていることも教えていただければ幸いです。
3パートにわたってお付き合いいただきありがとうございました。
You are the G.O.A.T.
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い②
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い①の続き
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い① - つきとたいようの日記 (hatenablog.com)
全体を通して一番気を付けていることは、何について書くかという事をしっかりと決めておく事。
対面で話していると、とあるきっかけで話題がそれてしまってしまう事がありますよね。
それは対話の中で起こっていることなので、脱線しているということは共通認識で主軸の内容に戻ることはそう難しくありません。
しかし文書の場合では書き手から発信するの一方通行なので、話がそれてしまうと主軸の内容がわかりにくくなり、読み手が書き手に質問することもできないため、読み手が自分の中で結論を考察して結論までもっていかなければならない場合があります。
なので文書の際は、対面で話す時よりもより意識して、主軸の内容からそれないように心がけています。
細かいところでいうと、文書はなるべく短文で伝えたいことをまとめる事も一つポイントだと思っています。
対面で話す時も内容を凝縮した方が良いことはもちろん理解していますが、それでも文書の場合はよりそのクオリティが求められます。
正直わたしが今書いている上記文も長いなーと改めて感じているところです。
理由は上記とほぼ同じで、文字が増えると伝えたい内容が薄れてしまうからです。
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い③へ
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い③ - つきとたいようの日記 (hatenablog.com)
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い①
みなさんこんにちは。
つきとたいようです。
わたしは、こうして文に自分が考えていることを書き起こす時、対面で話す場合とでは明らかに異なる文書構成を考えています。
伝える媒体が違うだけで、文章が変わるなんて3流だよとご指摘をもらうかもしれません。
素人の目線だと思って、あたたかかくみてやってください。
対面と文書で大きく違うことは、相手の表情や感情が視覚・聴覚の情報としても入ってくるか否かだと思っています。
なのでわたしからしたら、対面で想いを伝えることは文書に書き起こすことに比べ、そう難しいことではないように感じます。
表情や感情を見せるだけで、文書の重みを簡単に変えることができるからです。
しかし文書はそうはいきません。
フォントを触らなければ、だれが書いても同じ形の文字を読み続けていくことになります。
同じ形式の文字から直接感情などを読み取ることは難しいでしょう。
そして複数の話題が組み込まれている場合は、目次でもつけない限り読み手は上から順に読み進めていくほか手だてがありません。
対面で話す場合は、聞き手の様子を見ながら話し手が内容の前後を自在に入れ替えることが可能ですよね。
このようにパっと2点あげただけでも、いかに対面で話すことと文書で書き起こすことの伝え方の難度の違いがよくわかります。
細かいことを上げだしたらキリがないので、わたしが文書に書き起こす際に気を付けている点をまとめていこうと思います。
対面で話す/文書に書き起こす事の伝え方・伝わり方の違い②へ